2015年08月24日

人生における成功のカ・タ・チ

 8月19日のセル集会では、「あなたにとって人生の成功ってなに?」というリーダーからの問いかけを考えました。世俗的な成功を語る親戚に対し違和感を覚えたことがきっかけのようです。

 聖書の参照箇所はルカの福音書16章19~31節(ラザロの話)。私も含めメンバーは頭を痛め、ポンポンと分かち合いは出来ませんでした。なので、その後考えたことも合わせて、私の感想を書いてみたいと思います。

 クリスチャンの成功人生とは、神のみこころを行うこと。行おうと努力し続けること。その報いが天の御国でイエス様とともに永遠の命を喜べること。こんな一般論になるのでしょうか。

 キリスト教に対する私たちの(世間一般の)誤解(?)は、裕福になること、社会的に成功することが悪であるかのような、暗黙の了解があるように思えます。清貧に甘んじることがクリスチャンとしての美徳であるというような・・・。
 でも、たぶんアメリカでは違うでしょう。この世の「成功哲学」(収入、社会的地位、健康、等々)は、聖書のポジティブ・シンキングを引き合いにしていますから。

 私は、それもまたどうかなあ?と疑問に思います。
 だって、イエス様は金持ちじゃなかったし、社会的地位もなかった。健康だったかもしれないけど長生きしなかった、・・・。でもイエス様は人生の失敗者じゃない! だから「正しく強い」信仰が収入を増やし、社会的な地位を高め、無病息災で長生きする、というわけではないですよね。ご利益宗教から最も遠いのがキリスト教のはずです。

 すると、よくわからなくなるのですが、たぶん「正しい答え」はこうでしょうか。

 成功のカタチは人それぞれで、結果として、金持ちになることもあれば、社会的地位を得ることもあれば、健康で長生きすることもある。しかしだからといって、貧乏な人や社会的地位の低い人や病気持ちの人が不信仰なわけではない。
 イエス様のご計画の中で私たちは生かされているのだから、この世の富や名声や健康に囚われることなく、イエス様のみこころに私たちの思いを合わせ、みこころを実践しようと一歩足を踏み出すとき、きっと喜びと平安があるはずだ。イエス様と共にいる(神の愛に包まれている)というこの実感の中にあることこそ、キリスト者の成功である。

 う~ん、どうでしょうか? なんか正しすぎて説得力がない!? 

 私は単純に、こう考えます。

 「情熱を感じられる自分の使命を自覚し、その信念に従って生きる人生」

 
 (私自身は現在こういう状態から遠いのですが)私の周りにはこういう人が結構います。社会への関わりを強くもっている人に多いようにみえます。
 特に最近、反原発や安保関連法案反対運動など、社会への不安が大きくなっているからよけいに、いわゆる「社会運動」を行う人が増えています。キリスト教会は、一部の教団・教派を除いて、この種の問題に距離をとりすぎているような気もします。
 そういえば、「中日新聞」の記事で知ったのですが、国会議事堂前で学生(若者)デモを指導している明治学院大学(シールズ)の学生リーダーの一人は、北九州でホームレス支援を長年実践している牧師の息子さんだそうですね。
 
 10年くらい前に聞いた「社会的福音」。
 純粋福音の伝道だけでなく、社会との接点の中で育まれるクリスチャン人生の中に、成功はあるように思います。もちろん私の個人的な想い=私の理想です。
  


Posted by 豊橋セル at 20:38Comments(0)

2015年08月16日

田原市博物館 夏の企画展

先日、

子供達と田原市博物館の夏の企画展を見に行った。

『戦後70年

渥美半島と戦争』

とても考えされられる展示だった。

8月30日までやっているので是非!


  


Posted by 豊橋セル at 21:09Comments(0)

2015年08月15日

教会夏まつり

8/2は、年に一回の教会の夏祭り。

例年のごとく、我が豊橋セルでも店を出店。

フランクフルト、

チラシ寿司&漬物、

唐揚げ、

ポテト、

そして、新たなメニューのパスタ。

夏祭り1

また、千本引きはマンネリで中止。

代わりに射的、

これは大人気だった。

夏祭り2

たくさん店を出したので、

準備等大変だったけど、

子供も、

大人も、

みんなが喜んでくれたので、

楽しかった。

今回の材料費を除いた利益分、

12000円はK宣教師へ献金をした。

来年は何をしようか。

byわらしべ  


Posted by 豊橋セル at 12:42Comments(0)